一段低い場所に向かう道路がある。
コンクリートの壁面がこちらの道路と同じ高さで続いているので、目の錯覚というか錯視というかそういう作用で危険なことになりかねない。
スピードを出してここを通過したら、急に凹む地形に運転者は驚くことになるだろう。
事故に結びつくこともあるかもしれない。
最初不審に思った黄色いテープの存在と意味が理解できる。
水平と斜面、二つの形状がこの黄色いテープで強調されてる。
ミニマルな注意喚起だ。
迷彩服は戦闘用のユニホームだ。
それがファッションとなって戦闘意欲のない人たちに着られている。
迷彩服は擬態のような視覚効果を狙っているのだけれど、ファッションとなると逆に目立つ。
そして思想を漂わせる。
頑強な思想というよりは軽薄な思想を感じさせる。
ファッションは怖いな。
ここに二台の車が潜んでいる。
雑草が車体に巻き付いていて迷彩服のようだ。
ナンバープレートまでついた外車だ。
外人が二人、迷彩服で雑草の中に潜んでいるのだ。
発見されたくない。
その相手は誰だろう。
グアム島で発見された残留日本兵・横井庄一さんを思い出す。
外国で潜んでいた28年間をここに見る気がするな。
そろそろ動き出してもいいと思う。
「よっこいしょういち」や・・・。
緊急事態宣言が開けて、ようやく酒類の提供が許された。
時間制限はあるが、酒好きにはありがたいことだろう。
写真は、天王寺にある立ち飲み屋のメニュー。
今日行ったわけではない。
たまたま前を通ったので写真に収めた。
「オーストラリア・ラクダのこぶ」「アフリカ・ワニの手」「大人気・ワニの唐揚げ」「むつごろう蒲焼き」「わらすぼ」など、食べたことがないメニューがある。
鮮度はどのくらいあるのだろう。
鮮度以前に、常時用意してあることの不思議・いかがわしさが興味をそそる。
荒木経惟さんだったと思うが、レンズキャップをしたままシャッターを切って写真に日付を写し込んでいた。
真っ黒の画面に日付が写っている。
データバックがついたフィルムカメラで撮影すると、シャッターを押した時間が写るのである。
コンセプチュアルというか、河原𥁕というか・・・。
「一瞬は長いと感じた」というキャッチコピーは、ニコンF801のコマーシャルで、8000分の1を写しとめる高速シャッターを誇るコマーシャルだった。
写真は時間を切り取るのだ。
8000分の1秒という時間の帯を写すのだから、それは8000分の1の長さの動画を撮ることでもある。
動いているのに、止まって見える8000分の1というムービー。
屋根の影とトタン板の釘の並びが重なる時間。
この時間は、緩やかにスローモーションで過ぎていく。
竹藪があってそこにロープが張り巡らされ、この張り紙がありました。
張り紙というか、吊るし紙。
ビニールの中に水分が発生し、汗だくでしゃべっているようにも見える。
怒り心頭に発する、やね。
筍が生える季節なので、勝手に入山し採っていく輩(やから)への警告です。
「禁止」
「かえれ!」
「立ち入り禁止」
そういう語句が手書き文字でしつこく書かれています。
怖いな。
書いた人も相当アレですが、これは手書き文字だから怖いのです。
印刷されたワープロ文字ならこうは怖くない。
手描きの絵画と、印刷の版画との違いみたいです。
絵画は情念。
版画は情報。
極論すると、たぶん目指すものはそういうところではないかと思ったりするのです。
当たってはいないけど、外れてもいないはず。
たばこを吸っていました。
30歳まで吸いました。
そしてやめました。
近頃はたばこ屋が店をやめています。
たばこ屋は自動販売機になった。
その自販機もだんだん少なくなって、たばこの税収入はずいぶん減ったことでしょう。
たばこがかっこよかった時代もあったけど、今は「迷惑」の時代です。
愛煙家からしたら数の論理かもしれません。
ムカシ、たばこ屋の看板は「こばた」と書かれていたことを思い出した。
「洋装」という言葉をあまり使わないようになった。
「和装」に対応する言葉として「洋装」があるのだけれど、ほとんどの人が洋装なので、言葉自体が古くなった感じがする。
「洋画」というのもあるね。
これは「日本画」に対する西洋の絵の描き方を言うのです。
この2極思考というものは良いような悪いような・・・。
こういう言葉が生まれた頃は、明確だったと思うけど、時代が進むにつれてなだらかなグラデーションになってくる。
そのグラデーション自体を見つめないと、意固地な頭の硬い人間になってしまいそうだ。
本当に伝統を守るには、電気もパソコンもやめて、食事も当時のものを食べ、汲み取り便所で用をたし、薪でご飯を炊き、当時の新聞を読み、当時の外国人と付き合う生活をしないと形式だけの伝統になってしまう。
もともとの伝統は、その時代が生んだ文化だから。
うそうそ、知らんけど。
W-iFi(Wireless Fidelity) は無線でネットワークに接続する技術のことです。
ワイヤレスというから、目には見えない。
もともと電気や電波は目には見えないのだけれど、電線があると「ああ電気が来ているな」って解る。
見えないものを見えるようにする工夫、それが電線・電柱の存在です。
そう考える方が、今の時代には自然な気もする。
見えないものが多すぎるからね。
しかし電柱は物体で、電線でつながれているので、一度設置したら動かすことが困難です。
できるだけ邪魔な場所に立てたくない。
そこでこのような(写真参照)ことになる。
要するに歩道の邪魔にならない工夫ですね。
無理やり石垣の領地を借りて、慎ましやかに・仮住まい的に立てられた。
石垣にとっては迷惑なことだろう。
こういう立場は、自分なら消え入りたい心境になると思う。
そのせいか居心地が悪そうで、正面から見ると消える電柱に見える。