ブロック塀の穴が赤い。
そのことに目が行ってしまった。
穴のブロックだけ白いのにも造形的な引力を感じ、新鮮に映ったからだろう。
一呼吸して、その赤が車体の色だと気づいた。
そういうことだったのか、と解ってもなお新鮮な光景に見える。
赤色の別次元をそこに見たからだと思った。
別次元・・というのもあれだけど。
2021/05/31
グミの実です。
「グミ」
ググってみました。
グミ(独: Gummi、またはFruchtgummi)は、果汁などをゼラチンで固めたドイツ発祥の菓子の一種である。名称はドイツ語でゴムを意味するGummiに由来する。グミ製品全般ではハリボー社の製品が最も有名である。ドイツと北米では熊をかたどったグミベア(Gummibär、Gummibärchenとも)が、さまざまな形のグミで最も親しまれ定着した形状である。
英語では、ゴムおよびガム(Gum)の形容詞形にあたるガミィ(Gummy)と書かれ、意味はドイツ語とほぼ同じくゴム質のものを意味する。
(ウイキペディア)
通常グミというと、こっち↑ の方を連想する人が多いと思う。
でも、写真はこれではない。
グミ(胡頽子)はグミ科グミ属(学名:Elaeagnus)の植物の総称で、果実は食用になる。
なお、グミは大和言葉であり、菓子のグミ(ドイツ語でゴムを意味する"Gummi"から)とは無関係である。
(ウイキペディア)
自宅にぐみの木を育てていて、今日見たら3つだけ実がなっていた。
幼い頃これをよく食べた。
買って食べるのではなく、山の中に生えている木から食べた。
猿のような子供時代だったな。
甘酸っぱくそして渋いから、現代の皆さんのお口には合わないだろうな。
こんな味に抵抗感のある果実はスーパーで売られることもないし。
コーナーに石。
昨日もこの件を取り上げました。
駐車禁止的な威嚇効果を狙ったのだろうか。
それにしては小さいと思う。
昨日の石は「そのへんの」石ころだったのに、この石は直方体に切り出してある。
「これ専用」みたいな風格で地面に埋め込んでありますね。
そして、その背後にレンガが装備されています。
これも直方体。
このレンガは埋め込みでは無く、単に添えられている感じである。
このレンガの存在理由も不明だ。
類は友を呼ぶのかな。
ここに石があります。
移動できないようにコンクリートで固めてあります。
たまたまここにあるのではなく、この位置に必要とされてここにあるのです。
何に必要なのでしょう。
いろいろ推測しようとしますが、確固とした自信が無くて、いま言葉になりません。
誰が何のために・・・まるでモアイやナスカの地表絵のようです。
謎だけが残っている。
アバンギャルドな美術を見る時のようです。
いっそ「美術」として見た方がわかりやすい気もします。
だんだん、ゴリ押し状態になってきました。
今日の写真はこれ。
この風景から「対(つい)」あるいは「2(ペア)」のような関係を見つけてみます。
1/左端の鉢に2本の植物が植えられている。
2/水色のバケツと、水色の植木鉢があわせて二つある。
3/オレンジ色の三角コーンが2本ある。
4/赤色のもの(三角コーン・バケツ)が二個ある。
5/バケツが2個ある。
6/右端と左端、2個の容器には何か(植物・たぶんじょうろ)が入っている。
7/先が切られてていない、完全な形の三角コーンが2本ある。
今のところ、これだけの対関係が発見できます。
時間が経ったらまた新発見があるかもしれない。
写真には撮影時に意識していないものが写ってしまうようです。
何かに惹かれてこの写真を撮りましたが、こういう関係を 無意識に意識して 撮影したものと思われます。
人間の感覚って面白いな。
因みにこのふわっとした写真の写りは、ベス単フード外し(https://camerafan.jp/cc.php?i=318)という技を使っています。
蛇足ですけど。
2021/05/22
ブレッソンの写真には「対」になるものがたくさん登場する。
マチスの絵にもそういうものがある。
そういうことを意識して作ってます、というようなことを本人たち は しゃべっていないようなので、おそらくこれは彼らの感性の中に「対」に対する・・・・あ、対に対する、っておもしろい。
そうそう、「対」に対する造形原理があったのではなかろうか、と推察するのです。
世の中には相対するさまざまな現象や概念があります。
「上・下」「神・悪魔」「右・左」「女性・男性」「天・地」・・・など、2極で対象をとらえる人間の性(さが)のようなものがあるからでしょうね。
「対」は黄金比などと同じように、重要な造形原理かもしれんぞ。
知らんけど。
2021/05/21
「木を見て森を見ず」ということわざがあります。
細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと、という意味です。
幼い頃、僕は森の中で育ったので その意味が分かります。
いや、誰でも分かるか・・・。
まあそれはそれとして、こんな植木(写真参照)を見かけることがあって、このことばを思い出したのです。
これは「森を見て木を見ず」みたいな見え方です。
一本の木に見せかけて実は数本の木がこれを構成している。
「木を見て森を見ず」の逆ですね。
その意味は、全体ばかり気になって それを構成する細かい部分をみようとしないこと・・・かどうか知らんけど。
なんか、ゴリ押し論理やけど。
2021/05/13