2021年5月31日月曜日

ブロック塀の穴が赤い。

そのことに目が行ってしまった。

穴のブロックだけ白いのにも造形的な引力を感じ、新鮮に映ったからだろう。


一呼吸して、その赤が車体の色だと気づいた。

そういうことだったのか、と解ってもなお新鮮な光景に見える。

赤色の別次元をそこに見たからだと思った。

別次元・・というのもあれだけど。


2021/05/31




2021年5月30日日曜日

グミの実です。


グミ」

ググってみました。


グミ(独: Gummi、またはFruchtgummi)は、果汁などをゼラチンで固めたドイツ発祥の菓子の一種である。名称はドイツ語でゴムを意味するGummiに由来する。グミ製品全般ではハリボー社の製品が最も有名である。ドイツと北米では熊をかたどったグミベア(Gummibär、Gummibärchenとも)が、さまざまな形のグミで最も親しまれ定着した形状である。

 英語では、ゴムおよびガム(Gum)の形容詞形にあたるガミィ(Gummy)と書かれ、意味はドイツ語とほぼ同じくゴム質のものを意味する。

(ウイキペディア)


通常グミというと、こっち↑ の方を連想する人が多いと思う。

でも、写真はこれではない。


グミ(胡頽子)はグミ科グミ属(学名:Elaeagnus)の植物の総称で、果実は食用になる。 

なお、グミは大和言葉であり、菓子のグミ(ドイツ語でゴムを意味する"Gummi"から)とは無関係である。

(ウイキペディア)


自宅にぐみの木を育てていて、今日見たら3つだけ実がなっていた。

幼い頃これをよく食べた。

買って食べるのではなく、山の中に生えている木から食べた。

猿のような子供時代だったな。


甘酸っぱくそして渋いから、現代の皆さんのお口には合わないだろうな。

こんな味に抵抗感のある果実はスーパーで売られることもないし。

2021年5月29日土曜日

「ぢ」

ググってみた。


ぢ、ヂは、仮名のひとつであり、ち、チに濁点をつけた文字である。

四つ仮名の一つ。

 日本語の音節のひとつとして用いられ、1モーラを形成する。」

(ウイキペディア)


そうか。

解った。


「痔を平仮名で「ぢ」と表記することがある。

痔薬販売会社のヒサヤ大黒堂がシンボルマークを歴史的仮名遣いで「ぢ」としていることから広まったものである。

ヒサヤ大黒堂のほか、痔治療薬「レンシン」(指定第2類医薬品)がこの文字を広告用のぼりなどで使用している。」

(ウイキペディア)


そうか。

解った。

2021年5月28日金曜日

板塀の向こうから蔓植物が顔を出していた。

こちらからは向こうの世界が見えないけれど、彼らもまたこちらも世界を覗けない。


一枚が先ず隙間を通り抜け、それをまねしてもう一枚が・・・。

一番下に、今まさに触手のような葉っぱを滑り込まそうとしている。


植物に心理があるかどうかは知らないけれど、人間と似ているな。

生きていると同じことをする。

必要なものを目指して危険を冒す。




 

2021年5月27日木曜日

コロナ禍でも植物は関係なく日常を送っている。


都会で人間と同居する 彼らは彼らで苦労があるとは思う。

まあ、大自然の中で育つ植物も他の奴らとの生存競争があるという意味では厳しいはずだ。

町中の樹木にとってこの場所は安全区域なのか、あるいは劣悪環境なのか考えてしまう。


さて、この写真について。

幹に蔦植物がまとわりついて「小さな大自然」がここに発生しているかのようだ。

樹木にとっては迷惑な・・・もしかしたら死活問題なのだろうが、人は見て見ぬふりをしている。

いや、見てはいるがその小さな大自然を盆栽を愛でるように目の楽しみとしているのかもしれない。


全身緑色の木が二本。

地面には緑色の草地・・・。

夏近し。



2021年5月26日水曜日

コーナーに石。

昨日もこの件を取り上げました。


駐車禁止的な威嚇効果を狙ったのだろうか。

それにしては小さいと思う。

昨日の石は「そのへんの」石ころだったのに、この石は直方体に切り出してある。

「これ専用」みたいな風格で地面に埋め込んでありますね。


そして、その背後にレンガが装備されています。

これも直方体。

このレンガは埋め込みでは無く、単に添えられている感じである。

このレンガの存在理由も不明だ。

類は友を呼ぶのかな。

2021年5月25日火曜日

ここに石があります。

移動できないようにコンクリートで固めてあります。

たまたまここにあるのではなく、この位置に必要とされてここにあるのです。

何に必要なのでしょう。


いろいろ推測しようとしますが、確固とした自信が無くて、いま言葉になりません。

誰が何のために・・・まるでモアイやナスカの地表絵のようです。

謎だけが残っている。


アバンギャルドな美術を見る時のようです。

いっそ「美術」として見た方がわかりやすい気もします。

2021年5月23日日曜日

なぜそこにあるのか。

「なぜ?」と、人は理由や意味を求めます。

他の動物もそんなふうに考えたりするのだろうか。


この写真のこの石。

なぜここにあるのか不明です。

おそらく何らかの必要があってここまでやってきたのですが、目的を失っているように見えます。

いや、今も十分目的を果たしているのかもしれないけれど、それを知ることができない。

2021/05/23

2021年5月22日土曜日

だんだん、ゴリ押し状態になってきました。


今日の写真はこれ。

この風景から「対(つい)」あるいは「2(ペア)」のような関係を見つけてみます。


1/左端の鉢に2本の植物が植えられている。

2/水色のバケツと、水色の植木鉢があわせて二つある。

3/オレンジ色の三角コーンが2本ある。

4/赤色のもの(三角コーン・バケツ)が二個ある。

5/バケツが2個ある。

6/右端と左端、2個の容器には何か(植物・たぶんじょうろ)が入っている。

7/先が切られてていない、完全な形の三角コーンが2本ある。


今のところ、これだけの対関係が発見できます。

時間が経ったらまた新発見があるかもしれない。


写真には撮影時に意識していないものが写ってしまうようです。

何かに惹かれてこの写真を撮りましたが、こういう関係を  無意識に意識して  撮影したものと思われます。

人間の感覚って面白いな。


因みにこのふわっとした写真の写りは、ベス単フード外し(https://camerafan.jp/cc.php?i=318)という技を使っています。

蛇足ですけど。


2021/05/22

2021年5月21日金曜日

ブレッソンの写真には「対」になるものがたくさん登場する。

マチスの絵にもそういうものがある。


そういうことを意識して作ってます、というようなことを本人たち は しゃべっていないようなので、おそらくこれは彼らの感性の中に「対」に対する・・・・あ、対に対する、っておもしろい。


そうそう、「対」に対する造形原理があったのではなかろうか、と推察するのです。

世の中には相対するさまざまな現象や概念があります。

「上・下」「神・悪魔」「右・左」「女性・男性」「天・地」・・・など、2極で対象をとらえる人間の性(さが)のようなものがあるからでしょうね。

「対」は黄金比などと同じように、重要な造形原理かもしれんぞ。

知らんけど。


2021/05/21


2021年5月20日木曜日

単体のコンクリートブロックは無目的にただ放置される事例が多いのですが、ここではプランターとして使われています。

底には大きな穴が開いていますから 水はけ 抜群でグッドアイデアだな。

磁器製の真っ白な花瓶も隣に置かれています。

意表を突く斬新な組み合わせです。

ブロックの凹みにピタッと寄り添い、仲良し状態というか省スペース状態というか、この家に住む人の性格と趣味を感じさせます。

そういうわけで植物が植わる孔が四つあることになって、右端・左端に同じ植物が植えてあります。

植わっているところ・植わっていないところ、それぞれペア状態が生じています。

ここでも「対」の関係が生じていて興味津々。


2021/05/20

2021年5月19日水曜日

 

ブロック(block)とは、かたまりとか断片のことで、そういう状態のコンクリートを「コンクリートブロック」と呼んだり、単に「ブロック」と言ったりしますね。

この現場では「ストーンブロック」が並んでいました。
コンクリートより高級感があります。
その高級な石がなぜここに勢ぞろいいしているのでしょう。
不明です。

進入禁止の意思表示のようにも見えますが、これほどまでにガードするものは一体何なのか・・・気になるところです。
もう勝手に雑然と並んでいて、そのごろつき状態が怖い。

門番のように立つ鉄製の錆びた「アイアンブロック」を発見しました。
双方に丸い穴が開いています。
相似形というか、これも「対」の関係ですね。
おもしろいなあ、こういうの。

2021/05/19


2021年5月18日火曜日

このように玄関先にブロックが置かれるケースをよく発見してしまうのです。

なにかの目的でホームセンターで買ってきたけれど、ある日要らなくなった。
さて、ブロックは粗大ゴミとして出せるのでしょうか?
そう言うと僕は過去に捨てた経験がありません。
ゴミにも出せないこの四角いかたまりの処分に困って、こうやって整理整頓しているようにも見える。
その辺が意味不明です。
これを「整然」というか「雑然」というか、意見がわかれるところでしょう。

そういえば、なんか四角い形・直方体ばかりでできた風景です。
入り口前の階段状の不動産と、あとから置かれた行き場のない立方体たち。
あ、ドアや鉄製の水道栓のふたのようなものもありますが、みんな四角い形です。

その中に丸い形が2カ所。
雨水を流すパイプ。
そしてその痕跡。
ブロックの丸い穴があることで、矢印のような、構造の相似が発見できます。
対の風景に見えてきました。

2021/05/18








2021年5月17日月曜日

謎の配置について気になっている。

写真中央のブロックと石。
二種類のブロックが重ねられて、その空いた空間に石が乗せられている。
この配置は何を目的にこのような状態になったのだろう。
捨てるに捨てられない無用のこれらを、単に整頓しただけかな。

コンクリート製ドブ板の一部が白く変色していて、ブロックの上に乗った石と「対」の関係になっている。
ほぼ同じ大きさで、ほぼほぼ同じ色だ。
そこも気になる。

2021/05/17

2021年5月16日日曜日

 垂直に立つ2本の人工物。

そこから緑色の針金と、緑色のホースが垂れています。

石ころが二つ。


表現行為には「意図」が問われますが、ここには意図がありません。

この風景は表現とは関係がないものです。

しかし、こうした偶然を見ると撮影せずにはおれません。


2021/05/16




2021年5月14日金曜日

文字というのは記号です。
ですからその記号の意味を知らないと、単なる「無意味なかたち」なのです。

「6」という文字は数量を示す記号です。
これを逆さまにして「9」と書くと、また別の数量を表すのです。
「の」という文字にも似ていますね・・・。
向きによって意味が違ってくる。
記号の記号たるゆえんです。

地面に書かれた文字が、何らかの理由で欠損していました。(写真参照)
この欠損具合だと元のかたちを想像できます。

かたちが想像できなくなるギリギリのかたちはどんな形なのでしょう。
少しずつ消していって、読めなくなるギリギリ。
ちょっとやり過ぎると、単なる無意味なかたちになるその限界。
そこって興味があります。

意味を失ったかたちが「抽象形態」って呼ばれるのだろうな。
具体的な意味を有しないかたちのことです。

それが、それとしてしか存在できないかたち・・・。
ああ、なんか哲学やなあ・・・。

2021/05/14

2021年5月13日木曜日

「木を見て森を見ず」ということわざがあります。

細かい部分にこだわりすぎて、大きく全体や本質をつかまないこと、という意味です。

幼い頃、僕は森の中で育ったので その意味が分かります。

いや、誰でも分かるか・・・。


まあそれはそれとして、こんな植木(写真参照)を見かけることがあって、このことばを思い出したのです。

これは「森を見て木を見ず」みたいな見え方です。

一本の木に見せかけて実は数本の木がこれを構成している。

「木を見て森を見ず」の逆ですね。

その意味は、全体ばかり気になって それを構成する細かい部分をみようとしないこと・・・かどうか知らんけど。

なんか、ゴリ押し論理やけど。


2021/05/13